- アボカドさんの基本情報
進学先 | Wesleyan University(ウェズリアン大学) |
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専攻 | Science in Society Program (Sciences, Medicine and Technology) ,Government |
副専攻 | Applied Data Sciences |
GPA(4段階) | 3.92 |
TOEFL・IELTS | TOEFL 105点 |
SAT・ACT | SAT Reading 620 Math 790 |
主な課外活動・受賞歴 | 医療系のボランティア、バレーボール、模擬国連、スピーチ、 スピーチコンテスト、エッセイコンテスト、Harvard Book Prize |
合格した大学 | (米)Wesleyan University, Smith College, Oberlin College (カナダ)University of Toronto, McGill University |
卒業年度 | 2021〜2025 |
出身高校 | 都内私立 |
受験校数 | 合計16校 (米)リベラルアーツ8校、リサーチ大学8校 |
- 海外進学を考え始めたきっかけは何ですか?
- きっかけはいくつかあります。
一番大きかったのは、自分が勉強したかった医療社会学や公衆衛生が、海外の大学での方が学びやすい環境だったことです。これらは文系理系の中間にある学問なので、日本では大学院に行かないと専攻できません。そこで、分野横断的な学習ができるアメリカに行きたいと思うようになりました。
もう一つは、海外大学に進学した先輩から話を聞いたことです。学校の先輩に海外に行っている人がいたことで、海外進学という選択肢は、比較的身近にあったのだと思います。先輩の話を聞いているうちに、自分も海外の大学に行ってみたいと思うようになりました。
- 医療社会学や公衆衛生に興味を持ったきっかけは何ですか?
- 両親が医療系の仕事をしているので、家庭内で医療に関する話題が多かったと思います。自然と医療に興味を持っていたという感じです。ただ、自分がどんな立場、セクターから医療に関わっていけるのかがずっとわかりませんでした。特に、日本は医療先進国なので、その中で自分がどのように役立てるのかが疑問でした。
そんな時、高校の夏休みを使って、医療系のインターンシップでタンザニアに行きました。そこで、受けられる医療の格差には、医療技術などだけでなく、教育、地理的・経済的格差が影響しているという気づきがありました。そこで、医者になって目の前の人を救う以外にも、政策や医療を受けられる環境の整備という視点から何かを変えていきたいと思いました。
- 海外進学に関して、周囲からの反対はありましたか?
- 特にありませんでした。
学校には海外進学の前例があったので、先生からの反対はありませんでした。そこは、ありがたい環境だったと思います。
親には、海外の大学に行くことは良いけれども、家で出せるのはここまでだとお金の心配をされました。出してもらえる金額を超える分は、奨学金などで自分でどうにかしなさいと言われました。また、奨学金がだめだった時のために、日本の大学も受験することを約束しました。それでも、海外の大学を受けること自体は賛成してくれていたので、反対はされませんでした。
- どうやって志望校を決めましたか?
- 最初は国際保険や公衆衛の学部のコースを持っているところを狙っていました。ただ、AGOS(海外進学向けの塾)などで話を聞いているうちに、医療の分野では学部生でも専門的な勉強ができるところはあっても、結局は院やその先に行く必要があることがわかってきました。特に、専門性を高めるためには、学部だけでは足りないことを知りました。そこで、最終的に医療保健学などを学ぶ道筋になるものを、より広く勉強しても良いのではないかと思うようになりました。例えば、社会学や統計学などです。それなら、リベラルアーツで様々な分野に触れてみるのも良いかもしれないと思い、広い意味でやりたいと思うコースがある大学を探し、リサーチ大学、リベラルアーツどちらも色々なところに出願しました。
- エッセイに書いたことの中で印象的なもの、自信があったエッセイはありましたか
- サプリメントには、なぜこの大学、なぜこの専攻を志望するかという質問が多くありました。そこで、タンザニアでの経験など、どうして自分が医療社会学の分野に興味を持ったかということを書きました。
コモンアップのエッセイは比較的最後の方に書いたので、他のピースが見えてきた段階で、まだ書けていない自分の魅力とは何かを考えました。結局、異なる価値観を持つ人をどう受け入れるかというテーマで書きました。高校の部活で模擬国連とバレーボールをやっていて、そのどちらもチームで戦うものでした。誰かと一緒に何かをするとなると、その中に自分と同じ価値観ではない人もいるもので、そのことで自分の中でフラストレーションが溜まったことがありました。自分とは違った価値観、方法で人が成功しているのを見て、モヤモヤすることがありました。そういう人もいると割り切って、突き放すこともできますが、受け入れようとしないと、モヤモヤを克服できないと思いました。そこで、まずはどうしてその人がそのような考え方をするのかを理解するところから始めました。結局、完全に和解できたわけではありませんが、アプローチすることはできました。この経験談をもとに、異なる価値観をテーマに書きました。
- エッセイで苦しんだこと、悩んだことはありましたか?
- このテーマになるまでに、何を書いたらいいのかっていうのは全体的に悩みました。どういうテーマで書くかとか、どういう一面を見せればいいのかというのが全然わかりませんでした。自分の中でのイメージでは、自分のパッションとか、ルーツを具体的にしっかり書いて、その中に大学でやりたいことを書くのがエッセイでした。固定概念ですね。ただ、それをサプリメントにしてしまったので、書くことがなくなってしまいました(笑)常に、このテーマで十分なのかということに悩んでいました。
もう一つは、模擬国連などの課外活動は、知っている人はルールを知っていますが、知らない人は知りませんよね。知っている人には伝わる話でも、知らない人には何がすごいの?ってなるのかもしれないと思いました。ただ、課外活動の内容の説明に割ける字数もあまりないので、いかに誰が読んでもわかるようにして、字数内に収めるかということで悩みました。
- 課外活動はどんなことをやりましたか?どうしてその課外活動をやったんですか?
- 自分なりに、いくつかの軸を持って活動していました。出願だけじゃなくて大事にしていたことが、一貫性のある人になりたいということでした。そこで、課外活動とかも、いろいろ手を伸ばすのではなくて、テーマ性、軸を持つことを重視していました。
一つ目の軸は医療系のことです。タンザニアでのボランティアや、その経験をもとにタンザニアの医療政策をテーマに中高の卒業論文を書いたこと、同じテーマでスピーチをしたことなどです。他にも、医療の知見を深めるために、病院でボランティアなどをしていました。
二つ目は部活のバレーボールで、私の中ではチームワークの勉強も兼ねていました。
三つ目は模擬国連で、学校内外で関わっていました。大会の運営等もやりました。
これが主な軸で、あとは小規模のものをちょこちょこやっていました。
- 受賞歴はどんなことを書きましたか?
- 課外活動の医療系のことで学んだことをもとに書いた論文で賞を取ったことや、論文を元にしたスピーチの賞、校内で成績・課外活動が評価されてHarvard Book Prizeをもらったなどです。
- SAT勉強方法を教えてください
- TOEFLは問題集を解いたら大体できるようになったんですが、SATは全然できなくて苦労しました。
特に、リーディングが本当にできなくて、どうすれば良いのか全然わからなくなりました。練習をいくらやっても、当日のリーディングとの相性があったり、時間がなかったりで点数が伸びませんでした。
時間内に終わらせる対策として、同じ問題を何回も時間を測ってやっていました。また、リーディングができないぶん、グラマーは点を落とせないと思ったので、グラマーの方は特にたくさん問題集をやりました。あと、携帯に単語帳を入れて勉強していました。
- 誰に推薦文をお願いしましたか?
- 大学でやりたいことと一番関連する教科の先生二人を選びました。文系と理系の両方を大学でやることになると思ったので、文系の先生と理系の先生一人ずつになるようにしました。
一人は三年間担任を持っていた現代文の先生です。国語は得意だったし、自分のやりたいことを知っていて応援してくれていたというのもありました。
もう一人は生物の先生でした。高校三年生で、私は生物選択をしていて、この先生独自の、「生物を英語で勉強してみましょう」などの授業が好きでした。私が模擬国連に関わっていたのもあって、模擬国連ぽいことをしてみたいと提案してみたら、それっぽいことをさせてもらったこともありました。気候変動とか生物多様性に関するテーマで、本当に模擬国連ぽくいろいろな国の立場から発表するという授業を一緒に企画しました。他にもセンター対策でお世話になっていたりしていたので、この先生にしました。
また、第一志望にdeferになった時、追加推薦状を送ろうということになりました。高校の途中まで模擬国連でお世話になって、学校が変わっちゃった先生で、その後も模擬国連部にアドバイスしてくれた先生に改めてお願いしました。
- 受験のプロセスの中で一番苦労したことは?
- 奨学金に落ちたことです。絶対受かるだろうと言われていて、自分でも自信があったのに落ちたので、凹みました。また、タイミング的にも、早い段階で奨学金が確定して、それからアーリーを出す予定でした。それが、落ちたのでアーリーでfinancial aidに応募するかという問題も出てきました。実は、その奨学金の前に他の奨学金に出願する機会もあったのに、併願がしにくいもので他には出していなかったのもあって完全にタイムスケジュールが崩れてしまいました。
結果、これを契機に、国内の併願をやめました。自分でも、これはやばいと思ったのと、このまま焦って共倒れになるかもしれないと思ったからです。AGOSのカウンセラーとも相談して、本当の第一志望はどっちなのか考えた時、海外だとわかりました。究極の質問で、浪人することになったとしても、海外が良いと思えたので、海外一本にしました。
- 受験中にやってよかったことは?
- 一番良かったのは、困った時に人に話すということができるようになったことです。
これまでの家庭環境は、共働きの一人っ子だったのもあって、悩みは人に頼らず自分で解決するタイプでした。どうしても受験って、海外に行く人が少ないので、殻にこもりがちなっていました。
でも、奨学金に落ちたり、上手くいかないことがいろいろあって、苦しい時期がありました。
そんな時に、AGOSのカウンセラーが声をかけてくれたのがきっかけに、人に話すということができるようになりました。
困っている時、行き詰まった時に人に話してみると、リサーチ大学だけではなくリベラルアーツ大学も良い、という気づきとか、新しい視点での気づきがありました。人に話しているうちに、自分の思考の整理もつきます。
人を話すって良いな、ってことに気づけたのはいい勉強でした。
- 受験中にやればよかったと思うことは?
- コモン・アプリケーションを始めるのが遅かったと思っています。
自分の中でタイムラインを作ったはずだったのですが、タイムライン通りにはなかなか行きませんでした。それを見越した上で、本当に早め早めに動くべきだったと思います。
今だから思うことですが、想定通りにいかないことがあるのを見越して、早くから動けば良かったと思います。
- 振り返ってみて思うことは?言い残したことはありますか?
- 海外大学とか奨学金は、受かる基準がブラックボックスなところがあります。全然わからないんですよね(笑)。
そういう時に、自分がやってきたことのプロセスに納得できれば、結果にも納得できると思います。第一志望はここで、そこには受からない。それだけを見るとなんでこの子は受かったのにとかネガティブな考えちゃうんです。でも、最終的に、自分がこういうことを書いたという過程に納得して、自信を持てればポジティブになれると思います。
目先の結果にとらわれず、プロセスを大事にしてほしいです!
- 日米併願した人はアドバイスをお願いします。
- 併願する理由を考えておいた方が良いと思います。私の場合は、行く大学がなくなるのが嫌だ、奨学金が取れなかった時のバックアップと決まっていました。だからこそ、やめるとなった時に、切り捨てやすかったんだと思います。
目的がどっちつかずだと、両方うまくいけばいいけど、両方ダメだった時に納得いかなくなると思います。そこをしっかり考えて、名誉のためとかでなら、忙しくなるだけなのでやめたほうが良いです。
編集者ひとこと
頑張っていても、上手くいかないことだってありますよね。そんな時にも自分にとって大切なものを見失わず、進んでいけるアボカドさんは、とてもかっこいいなと思いました。自分の中でストーリーを組み立てながら勉強や課外活動を進めているのも、効率的ですね!