- みさきさんの基本情報
進学先 | Hamilton College(ハミルトンカレッジ) |
---|---|
専攻 | Anthropology , Psychology |
海外滞在歴 | 1年(高2の夏~高3の春) |
GPA(4段階) | 4.0 |
TOEFL・IELTS | TOEFL 104点 |
SAT・ACT | SAT Reading 660 Math 800 |
主な課外活動・受賞歴 | 高校留学、スキー、学校行事 |
合格した大学 | (米)Hamilton College 〈Early Decision〉 |
卒業年度 | 2021-2025 |
出身高校 | 都内私立 |
IB・AP | AP 取得 |
受験校数 | (米)リベラルアーツ 1校 〈Early Decision〉 |
- 海外進学を考え始めたきっかけは何ですか?
- 自分は高校の特進クラスに所属していた。一般的には偏差値も悪くないと思って入った高校だったんだけど、私の高校の特進クラスって、第一志望の都立に落ちた人の滑り止めの高校として受ける人が多かったから、入学式でもクラスメイトは皆テンションが低かった。しかも、入学初日で大学受験の対策用の分厚い冊子をもらって、衝撃を受けた。
日本の高校、やばいなって思った。
多分私の高校はいわゆる「なんちゃって進学校」だったから、授業も大学受験対策が中心だった。生徒の自由とか好奇心を尊重するよりも、で受験対策が中心で、あまり本質的じゃないように私は感じてた。
自分は中学までずっとアルペンスキーをやっていたから、高校はスキー部の強さで選んだんだけど、スキーだけじゃなくて勉強も頑張りたいと思っていた。だからこそ、受験対策がメインの自分の高校の教育については疑問に感じていた。そんな中、高1の夏にニュージーランドでスキーをしていたとき、偶然リフトで隣に座った男の子との会話で、私の人生は変わった。
その男の子はカリフォルニア出身の13歳だったんだけど、アメリカから単身でニュージーランドに来て、めっちゃ飛び級して大学生をやっていた。リフトの上でたった10分しかしゃべってないけど、「世界にはこんな人がいるんだ」って思って、私はもうスキーどころじゃなくなって、海外で学ぶ方法を調べ始めた。
もともとテストだけで合否を判断する日本の大学受験とか画一的な教育制度に疑問を思ってたから、それとは違う学び方を体験したくて、その高1の夏に留学を決意し、高校2年から1年間交換留学をした。
- 受験する際に、大学でやりたいことは決まってましたか?
- なんとなく 決まっていた。
高2の時に参加した留学プログラムで、参加者の留学生が全員参加するオリエンテーションがあった。そこで、16ヵ国から来た200人くらいの交換留学生が集まって2泊3日一緒に過ごした。そのとき人生で初めていろんな国の人に出会った。出身国の文化によって学生の行動が全然違うのに、でもその一方で共通する部分もあって、人間ってすごく面白いなって思った。で、文化の違いとか人間について学べる学問ってなんだろう、って思ってネットで調べていたら、人類学に出会った。それがきっかけ。
- 海外進学に関して、周囲からの反対はありましたか?
- 高校1年の夏にニュージーランドで海外留学を決意して、帰ってきてからすぐに母親に「留学したい」って行ったときは、「は?」って感じで、「なに言ってんだ」って言われた。でも、日本に帰ってきてからもずっと海外留学について調べていて、親にも、自分が留学したい理由とか調べたこととかをずっと話していたから、自分が真剣なのはちゃんと伝わった。だから親も、「自分で全部やるんだったらいいよ」ってことで特に反対されなかった。でもお金の心配はずっとしてた。そこは、自分でも奨学金は色々調べていたし、最悪クラウドファンディングとか近所の人とかに頼んでなんとかするから!ってことで押し通してた。
高校の中では、親しい先生たちはすごい協力的だったんだけど、一部の先生にはよく思われていなかった。自分は高校の中では比較的成績が良い方だったから、私に日本の大学に行って合格実績を残してほしい、って思ってる先生たちもいて。でも、自分は行かない大学に受験料も入学料も払うのが嫌で、センター試験も申し込まなかった。そういう行動が一部の先生からは反抗的だと捉えられることもあったけど、親しい先生たちからはすごい応援してもらえたから本当によかった。
- どうやって志望校を決めましたか?
- まずはリベラルアーツ・カレッジに絞った。少人数のコミュニティーの方が安心できるな、って思ったから。教授との距離が遠いとか、誰が誰だかわからない、みたいな環境は嫌で、数百人での講義は絶対にしたくなかった。高校の特進クラスは50人で、2年生からは別校舎、勉強はハードだったけど、クラスとしては少人数でのびのびと放牧されて育った高校時代だったから、小さい和気あいあいとした場所がすごい好きだった。だから、小さくて密なコミュニティーが特徴の、リベラルアーツ・カレッジを選んだ。
リベラルアーツ・カレッジの中からさらに絞り込んでいくために、自分がどういう大学生活を送りたいかを箇条書きして、優先順位をつけて10個くらいに絞って、そこから、それをかなえられるような大学をネットで調べ始めた。
多様性はすごい大事にした。始めは、人種の割合、留学生の割合、first generation(家系の中で、大学以上の教育を受けるのは自分が初めてという学生) の割合とか、そういう統計で多様性を調べてたんだけど、Amherst College の先輩と話したとき、Amherst は留学生は多いけど、インターナショナルスクール出身者が多くて、あんま留学生っぽくはないって話を聞いて、留学生の割合っていう、統計だけではわからないことがたくさんあるんだ、ってことを知った。そのあと Hamilton College の先輩と話して、留学生は少ないけど、みんな留学生っぽいし、留学生のコミュニティーもあるって聞いて、Hamilton を志望校にした。
そういう意味では統計データで大学を絞ったけど、最終的に大事にしたのは先輩の話だった。
あと、自分の居心地の悪いところをあえて選んだ。Hamiltonは他のリベラルアーツに比べるとどちらかと言えば保守的で、環境問題に熱心な人があんまり多くなくて、むしろ無関心な人が多い環境。もちろん、リベラルな雰囲気のところに行ければ自分はすごい居心地がいいと思う。でも、自分の意見と真っ向から合わない人がいないのは物足りないと思った。Hamilton は保守的な大学だから、それをわかった上であえて志望校にした。自分の言いたいことが伝わらないモヤモヤを味わいたかった。
実際に通ってみて、政治的な議論とかをするとき、やっぱりここにしてよかったって思う。環境問題とか、色々無関心な人が多い中で、それでも自分が頑張ろうとすることは、将来社会出たとき絶対に生きると思った。もちろん、日々の会話はストレスも多いけどね(笑)
- リベラルアーツ・カレッジに関して思うことはありますか?
- 魅力的なことも多いけど、まぁ、リベラルアーツはリベラルアーツで弊害は多い。
少人数のコミュニティーで、あんまり社会に開けた集団ではないから、実際の社会には通用しない力とか常識がある。それに、都心から遠い大学が多いから、都心で開催されてるイベントとか集まりに行きにくい。そういう意味でも社会に開けていない。
あと、学生の人数が少なすぎて、アクティビズムをやろうとしたときに人がいない。ちょっとでもニッチな領域になると、全然人が集まらない。例えば、何千人、何万人の学生がいると、自分と同じ考えを持つ人にも出会えるけど、全校生徒が1000人とか2000人だと、物理的に、自分と似た考えの人に出会える確率は低くなる。例えば私も、日本人クラブを始めてみたけど、そもそも日本人が自分以外にほぼいなくて続かない。人類学のクラブも、人類学に興味ある人が数人しか集まらなくて続かない。ニッチな分野になると、小規模な大学では継続的に文化を作ることが難しいと感じた。
授業も同じ。用意されてる授業の種類は少ないから、ニッチな分野をびたい学人ほど大変。経済学とかメインストリーム(王道)な学問ならリベラルアーツでも全然十分に学べるし、逆に、大きい大学になるとそういう学部は収集つかないくらいでっかくなるからその点ではリベラルアーツは優れているのかもしれない。でも、ニッチなことをリベラルアーツ・カレッジでやろうとするのは本当に大変。
- エッセイに書いたことの中で印象的なもの、自信があったエッセイはありましたか?
- エッセイでスキーのことを書きたかったんだけど、いいプロンプト(課題文)が無くてなかなか書けてなくて、そんな中、Hamiltonの出願書類の中で、「〇〇ギガバイトに収まる中で自由に書いていいよ」っていうコーナーがあって、そこでスキーの活動を書くことにした。
でも、普通にエッセイを書くんじゃなくて、自分でTIME(アメリカのニュース紙)のパロディーを作って、自分のスキーでの活動とか思い出とかを雑誌形式で書いてまとめた。書いててすごい楽しかったし、アイデアとして、他の人ともかぶらないと思った。
- エッセイで苦しんだこと、悩んだことはありましたか?
- コモン・アプリケーションのエッセイは10個くらいテーマを没にして、これだってテーマが決まった後も、53回くらいドラフトを書きなおした。書きながら自己理解が深まっていくようになったときは書いてて楽しかったんだけど、そうなるまでは本当に、自分に関する問に対してどう進んでいいのかわからなくてしんどかった。
エッセイが初めて、自分が答えの無い問いに直面した瞬間で。テストって答えも答え方もあるけど、エッセイは、登る山も自分で決めて、登り方もどこで降りるかも自分次第。その楽しさに気づくまではしんどいし、ゴールまでの距離感が見えないのがしんどいかった。エッセイに限らずアメリカ受験全般そうなんだけど。
でも、ちゃんと自分と向き合って、これをちゃんと伝えたいってものが見つかった時に、どうやったらもっとうまく伝わるかなってのを考えながら、自分の伝えたいことをどんどんシャープにしていくのは楽しかった。
何を伝えたいか、その道が見えてから、突っ走るのが楽しかった。
- 課外活動はどんなことをやりましたか?
- 課外活動は10個報告した。
スキーはもちろん報告したんだけど、そのとき、選手っていう軸とコーチっていう軸の2つで書いた。自分が選手として残した結果と、コーチとして教えたスキー初心者の子が大会で出した結果、っていうのを2つ書いたのは、自分の中では大きかった。
あとは、体育祭の応援団、合唱祭の指揮者、文化祭の委員長、とか学校内での活動を書いた。学校で色々頑張っていたのは自分の中で大事なことだった。
自分がやりたいこと、夢中になれるものしかやってない高校生活だったから、本当に幸せだった。
- 受賞歴はどんなことを報告しましたか?
- 5個報告した。
まず、「トビタテ!留学JAPAN」の奨学金に合格して高校留学したこと。
校内の英語のスピーチコンテスト優勝。
あと、世界一周に関するプレゼンの大会で賞をもらったこと。
「TABIPPO」っていう大会なんだけど、これはすごい楽しかった。自分が世界一周をしたい理由をプレゼンして、優勝したら本当に、世界一周のための航空チケットをもらえる。そこでの素敵な出会いも多くて、本当に参加してよかった。
- TOEFLの勉強方法を教えてください!
- 単語。語彙力が本当に大事だと思ってる。
今のGoogle Japanの会長の村上さんは、30才くらいまで全然英語しゃべれなくて、そんな彼が、「英語の上達の仕方は単語です、とにかく毎日大量の単語を眺めましょう」って言っててたのを聞いて、自分も単語を勉強し始めた。1万語くらいの単語帳を買って、毎日パラパラ眺めて、感覚でいいから単語を覚えた。
リスニングとスピーキングは慣れ。YouTubeに音声教材が大量に転がってるから、毎日それで練習してた。
- SATの勉強方法を教えてください!
- 留学関係の先輩に、「SATの勉強方法は、色々な問題を解くより、一個を完璧に解けるようになるまでやり続けて、自分が間違えた理由をちゃんと分析して進めた方がいい」って言われて、その通りにした。オンラインに載ってるカレッジ・ボード公式の問題集を全部印刷して、冊子みたいにまとめて、全部完璧にできるようになるまで解き続けた。
- 誰に推薦状をお願いしましたか?
- 合計で6人に書いてもらった。
SC(スクール・カウンセラー)は担任の先生にやってもらった。高校で海外受験用にSCが設けられてるわけじゃないから、SCとしての役目を果たせるのは担任の先生だけだと思って依頼した。
教科の先生は、英語のスピーチコンテストを手伝ってくれたアメリカ人の先生と、あと、物理の先生。
物理の先生は1年生のときだけ授業を持ってもらってて、しかも自分が留学している間に他の高校に行っちゃってた。そんな先生に普通はなかなか頼まないと思うんだけど、でも、その人にどうしても書いてほしかった。というのも、自分は1年生のはじめの頃は物理が本当にできなかった。だから、わからないことがあったときはその先生に質問をしまくってたし、自分でもめっちゃ勉強して、そしたら2学期の途中くらいに急にできるようになった。それ以降は理系選択の同級生に負けないくらい物理ができるようになって、最後はみんなに教えるようになってた。だから、始めは先生に質問しまくってたけど、勉強を頑張って、最後は物理をできるようになったギャップと、周りの友達にも教えてたってことを書いてもらった。
この3人が、大学受験の際に必要な3人の先生。
これ以外にも私は追加で3人に推薦状を書いてもらった。
まずは、校長先生。毎週校長室に行ってお茶したり一緒に話したりして、校内の教育的な問題に関していつもディスカッションして意気投合してたからお願いした。全校集会とか色々な校内の企画とかも一緒にやってたから、その話とかを書いてもらった。高校は大学受験重視の保守的な高校だったけど、この校長先生自身はすごい先進的な方だった。
2人目は、トビタテ!のプログラムで出会った社会人の方。この人は、実は直接会ったことは1回しかない。高2の留学から帰ってきたときのプログラムの壮行会で会ったんだけど、自分は留学中にホストファミリーともめてすごい悩んでて、留学がマジしんどかったエピソードを語りながら泣いてたら、その人が話しかけてくれた。その人に自分のやりたいこととかを話してたらアメリカの大学を紹介してくれた。で、その後もその人に長文メールで自分のやりたいこととかを送って相談してたんだけど、それにもすごい丁寧に返してくれて。自分がやりたいって思ってきたことも、自分の努力のプロセスとかも全部知ってくてれる人だから、推薦状をお願いした。
あともう1人の推薦状は、願書提出後に出した。高3の2学期、東大にもぐって授業受けてて、その時の駒場祭で教育学の先生に会った。その人と意気投合して、東大内で色々な教育問題を解決する団体を一緒に立ち上げて、東大生と一緒に活動していた。その人に、出願後の後押しとして推薦状をぎりぎりのタイミングで書いてもらった。
まぁ、こんなにいろんな人に推薦状を頼むことも、出願後に推薦状を提出することも、あんま普通じゃないんだけどね。
- 受験のプロセスの中で一番苦労したことは?
- 自分の能力を見定めること。
高3の7月に初めてTOEFLを受けて88点。留学なんて絶対無理だって思った。高3の4月に受けたSATも1310点で、マジで無理だと思った。その数字を基準にすると、国内の奨学金財団が求めてるレベルの大学には絶対にひっかからないって思って、すごいきついなって感じてた。だからSAT1300点くらいで入れそうな大学をずっと探してた。
でも、高3の夏に、ある先輩に、「行きたいなら受けなよ。選ぶのは自分じゃなくて大学なんだから、自分で受かる大学を決めつけることないよ。」って言われて、その通りだと思った。ちゃんと自分が行きたいところを狙おうと思った。
でも、それでも点数が出るまでは不安で、TOEFL100点超えるまでは不眠症で悩んだりもして、合格に向けた自分の立ち位置がわからないのは本当にしんどかった。
でも、その先輩に出会ってなかったら、自分の能力で安心できる大学を受けちゃってたと思うと、それは嫌だなって思う。自分の周りには留学をしてる人がいなくて、上を見せてくれる人がいなかったから、その人に出会えたのは本当によかったと思うし、すごい感謝してる。
- 受験中にやってよかったことは?
- やっぱり、コモン・アプリケーションのエッセイを53回書いたこと。妥協しなかったこと。
塾みたいなところじゃなくて、ボランティアでエッセイを見てくれてる人たちにアドバイスをもらってた。だから、遠慮もできたし、今考えれば本当に図々しいやつだけど、何度も頼むのは申し訳ないと思って10回とかしか書き直してなかったら、いいエッセイにはなってなかったと思う。
どうしてもいいエッセイを書いて、どうしても受かりたいって思ってたから、ちゃんとその人たちに「助けて」って、「手伝って」って遠慮せずに言えたことがよかった。
- 受験中にやればよかったと思うことは?後悔は?
- 今通っているHamilton College は、自分の中では背伸びしたと思ったけど、受かるか受からないかのギリギリの中では受かる方だと思ってた、だから、もっと上を目指してもよかったかな、って今は思う。もう少し上のレベルで「いいな」って思ってた大学はあったから。
今思うと、落ちるのが嫌でリスクから逃げてたんだと思う。合わないかなって思って受けなかった大学もあったけど、でも、色々受かってから選べばよかったから、それも逃げなんじゃないかな。結局ED(アーリーディシジョン)の方が合格率高いしさっさと受験終わるし、気持ち的にもいろいろな意味で楽。「モヤモヤして悩まないためにED出さない」って人も周りにはいたけど、自分はそれ以上に早く終わらせたいって思いが強かったから、EDで出した。
大学に来て、授業でも課外活動でも、すごいと思える人、かなわないと思える人はたくさんいるけど、それでも、想像していたほどの挫折は経験できてない。自分がある程度活躍できてしまう環境で安住するのって成長する環境としてよくないと思う。そういう意味では受験の時にもっと頑張って上を目指してもよかったかなって思う。
- 受験生へのメッセージはありますか?
- 無理だと思わないで自分で行動すること。
留学が無理って思わない。お金が無理でも自分で集める方法を探す。先輩を知らなくてもググれば絶対に見つかる。推薦状も無理って言われても書いてってお願いしに行く。エッセイも50回添削してもらう。
私が合格できたのは、そこかなって思う。
編集者ひとこと
自分が納得のいくまで頑張り続ける、という姿勢が印象的でした。課外活動の内容も、エッセイとの向き合い方も、どの要素を切り取っても、最後まで自分とまっすぐ向き合い続けていて、そんな彼女だからこそ、「もっと上を目指せた」と後悔するのも頷けます。高校の教育方針に疑問を抱いたまま終わらせるのではなく、その疑問に向き合い、海外大留学を決意し、自分のやりたいことを最後までやり通した彼女の姿から、私たちが学ぶべきものは多くあるように感じます。